テキスト:青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card2367.html
2010年06月20日
2010年06月17日
沼
「沼」 著者名: 芥川龍之介(Ryunosuke Akutagawa)
テキスト:青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3808.html
読み誤りがあったので、訂正しました。6/20
2006年にこのブログで朗読を始めたときから録音には OLYMPAS Voice-Trek V-20 を使い続けている。
マイクのように手に持ったまま録音するので、この大きさと軽さがちょうど良い。
これにヘッドホンを接続して自分の声をモニタリングしながら録音する。
声以外の環境音がなるべくはいらないようにLo-Fiで録るのだがそれでもヘッドホンからは、ふだん拾えないような音がたくさん入ってくる。
自分の衣服の擦れる音、部屋の中の冷蔵庫のモーターの音、空調の音、
外を通る車の音、鳥の声など、
ふだん意識していない音が、こんなにもあったのかと思う。
そのかすかな音も同時に聞きながら自分の声を聞く。
このかすかな音にぼんやりと意識を向けていると、自分の声を聞くことと、声が半ば自動的に発する意味の連なり(テクスト)に、むしろ集中できるような気がする。
家の前の田んぼに先日水がひかれた。もうじき田植えが始まるらしい。
夕方になるとカエルがさかんに鳴く。レコーダーを通して聞くといっそうはっきりと騒々しく聴こえる。
この音はもちろん録音に入る。
だからこの時期に録ったわたしの朗読にはよく蛙の合唱のBGMが入っていたりします。
築10年も経ていないような新しい家ばかりが並ぶ新興住宅街に住んでいるが、20年ほど前までは、ここら一帯は田んぼしかなかった。
洒落た造りの家屋にはさまれて点在する水田は、みな整然とした矩形をして、小さな苗が機械で均一に並べられた様子は、意識的に水辺をしつらえたモダンな公共建築の一角みたいで、わたしはこの近代的な風景をけっこう面白いと思っている。
だが。夜中いっせいに始まる蛙たちの歌。
それがやってくるときは「あ、来るな」とわかる。
前触れのような、ざわざわしたもの。
匂いのような前兆。
最高潮のときはものすごい音量になる。
地の底から、いくらでもいくらでも湧いてくるような声。
ほんのわずかの田んぼしかない住宅街の景色を、それは一変させてしまう。
かつてこの地にあった広大な水田。
それはきっと土地が記憶しているに違いない。
手入れの行き届いた公園やきれいなケーキ屋さんや珈琲屋さんの並ぶ普段見ているこれら風景はほんとうはたった一枚の膜のようなもの、その膜の下にはかつてのあの野生的な水田風景が横たわって眠り続け、こんな日には、こんな梅雨時にだけは、ひそかに目を覚まして合唱に加わっているのではないだろうか。
だから、だからきっとこんなにも蛙の声が大きいのだ。
梅雨時になると、毎年そんなことを考える。
テキスト:青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card3808.html
読み誤りがあったので、訂正しました。6/20
2006年にこのブログで朗読を始めたときから録音には OLYMPAS Voice-Trek V-20 を使い続けている。
マイクのように手に持ったまま録音するので、この大きさと軽さがちょうど良い。
これにヘッドホンを接続して自分の声をモニタリングしながら録音する。
声以外の環境音がなるべくはいらないようにLo-Fiで録るのだがそれでもヘッドホンからは、ふだん拾えないような音がたくさん入ってくる。
自分の衣服の擦れる音、部屋の中の冷蔵庫のモーターの音、空調の音、
外を通る車の音、鳥の声など、
ふだん意識していない音が、こんなにもあったのかと思う。
そのかすかな音も同時に聞きながら自分の声を聞く。
このかすかな音にぼんやりと意識を向けていると、自分の声を聞くことと、声が半ば自動的に発する意味の連なり(テクスト)に、むしろ集中できるような気がする。
家の前の田んぼに先日水がひかれた。もうじき田植えが始まるらしい。
夕方になるとカエルがさかんに鳴く。レコーダーを通して聞くといっそうはっきりと騒々しく聴こえる。
この音はもちろん録音に入る。
だからこの時期に録ったわたしの朗読にはよく蛙の合唱のBGMが入っていたりします。
築10年も経ていないような新しい家ばかりが並ぶ新興住宅街に住んでいるが、20年ほど前までは、ここら一帯は田んぼしかなかった。
洒落た造りの家屋にはさまれて点在する水田は、みな整然とした矩形をして、小さな苗が機械で均一に並べられた様子は、意識的に水辺をしつらえたモダンな公共建築の一角みたいで、わたしはこの近代的な風景をけっこう面白いと思っている。
だが。夜中いっせいに始まる蛙たちの歌。
それがやってくるときは「あ、来るな」とわかる。
前触れのような、ざわざわしたもの。
匂いのような前兆。
最高潮のときはものすごい音量になる。
地の底から、いくらでもいくらでも湧いてくるような声。
ほんのわずかの田んぼしかない住宅街の景色を、それは一変させてしまう。
かつてこの地にあった広大な水田。
それはきっと土地が記憶しているに違いない。
手入れの行き届いた公園やきれいなケーキ屋さんや珈琲屋さんの並ぶ普段見ているこれら風景はほんとうはたった一枚の膜のようなもの、その膜の下にはかつてのあの野生的な水田風景が横たわって眠り続け、こんな日には、こんな梅雨時にだけは、ひそかに目を覚まして合唱に加わっているのではないだろうか。
だから、だからきっとこんなにも蛙の声が大きいのだ。
梅雨時になると、毎年そんなことを考える。
2010年06月12日
軽井沢で
「軽井沢で」
著者名: 芥川龍之介(Ryunosuke Akutagawa)
テキスト:青空文庫 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/card2323.html
黙読ではなく音読(朗読)で読書をする楽しみとはどんなことか、と考えていて、それは「朗読をすること」と「朗読を聴くこと」という、2種類の体験、本来はまったく方向の相反する体験を同時に経験できることだ、と書こうとして、
うーん。なんだか説得力ない。
朗読をすることも、朗読を聴くことも、どちらも最初から興味のない人にとっては、単に無関心が2倍になるだけではないの? という反論がすでに自分の心の中で生じている。
最初はわたし自身、どちらも興味なかったのである。朗読することにも、朗読を聴くことにも。単に音声ブログ、podcastへの興味から手を出してみるまでは。
ようし。それでは別のアプローチで。
朗読しながら本の内容を味わうことは、そのときだけの一回限りの体験です。
ふつう書物の良いところって、いつでも好きな時間に好きなペースで読めて、好きなところで中断でき、忘れたら前のページをめくり返して読み直すことができるという、読み手の自由度、時間の制約から免れた自由にあるのだと思います。
この自由をあえて放棄してしまう。そして、劇場に出かけていって見る演劇や映画のように、一回限りの、そのとき限りの体験とする。
そうすることで何が起きるかというと、勢い集中力を極度に高めた状態で読まなくてはならないことになります。
時間はかかっても、そうすると内容の非常に濃い体験となるので、本の中に出てきた風景や音や食べ物などを現実に見たり聞いたり味わったりしたような感覚、このリアルさが増すといえるでしょう。
はじめるときは、軽くストレッチなんかして、なるべく頭をからっぽにし、思考のノイズを消し去った透明な自分自身をイメージして本を開き、マイクに向かいます。
音読で読書することは、スポーツや、楽器の即興演奏を楽しむことに似ているかもしれません。
2007年08月12日
「河童」十七
2007年08月05日
2007年08月04日
2007年07月31日
2007年07月30日
2007年07月29日
2007年07月14日
2007年07月10日
2007年07月06日
2006年06月01日
朗読と音楽のコラボレーション〜ピアノの記憶あるいは夢
芥川龍之介「ピアノ」を読みます。
朗読のあとに、音楽のきれはしによるピアノのソロ演奏が入ります。
ここに登場するピアノは、関東大震災に遭遇し、今は瓦礫の中に埋もれているピアノです。
崩れた家屋の跡に藜(あかざ)が生い繁り、その中にひっそりとうずくまっている忘れられたピアノです。
かつて幾多の華麗な音色を弾き出したであろうその鍵盤は光沢を失い、蓋の漆は剥げ落ちてしまっているピアノです。
かつて奏でた曲の中には、こんな華麗な物悲しさを湛えた一曲もあったかもしれません。
それは今は眠っているピアノの記憶。
誰も聴くことのできない記憶の中の、あるいはまどろみの中の夢。
通りがかりの「わたし」の耳に微かに届くのは、この記憶の片鱗なのですね。
そんな想定で朗読してみました。
テキスト: 青空文庫
被災に遭ったピアノは物理的にダメージを受けるわけですが、そういうこととは別に、その物体の上を通過していった時間の痕跡というか、「時間」という目に見えない物質がホコリのようにうっすらと表面に堆積することで、その重みで、古いモノは「モノ」以上の存在になり果てるような気がするのですよね。(成り上がる、と云ってもいいかもしれません)
ところで話は変わりますが、「被爆ピアノ」というのをご存知でしょうか。
芥川のピアノは震災に遭ったピアノでしたが、被爆ピアノというのは、広島・長崎に投下された原爆の被害を受けたピアノのことです。
下記は被爆ピアノのコンサート等を通じて平和を呼びかける「被爆ピアノ・翼をひろげる会」のサイト。
http://www.hibakup.com/index.html


